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2008年4月20日

《あなたを守り、連れ帰る》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記28:1〜22

教会の庭にシクラメンの鉢を一つ、野ざらしにしました。寒い冬の間も室内に入れずにおきました。暖かい場所では、年末、クリスマスごろには花をつけます。野ざらしのシクラメン、少し可哀想かなと思いましたが、自然環境ではどうなるだろうか、好奇心です。四月末、ようやく花が出てきました。イスラエルの写真を見ると、野原に自生しているようです。

先週のある日、ある方のお祈りで珍しい言葉と出会いました。『はなくたしの雨』です。

ちょうど花の季節に、咲く花を散らす雨が降る。これが花くたし。これまで僅かながら活字では御目にかかりました。話し言葉、祈りの言葉としては初めてです。矢張り長生きはするものですね。初めてのこと、珍しいことに出会うことが出来ます。

でも最近は嫌なことが多いので心配になります。長生きするものじゃあないね、と言いたくなることが多いのです。後期高齢者、なんという無神経さでしょうか。お偉いといわれる政治家や官僚たちの無思慮、無神経と違い聖書に登場する庶民は、小さい知恵を一生懸命働かせています。


ヤコブの母親としてリベカはその知恵を働かせました。暫くの間、兄ラバンの所へやっておこう。エサウの怒りも静まり、ヤコブのしたことも忘れられるだろう、と考えました。人間は忘れっぽいことを知っています。その意味で、世間のことについて、世俗的には賢い女性です。しかし真に恐れるべきものを忘れています。

リベカは、イサクに申し出でます。エサウの嫁のことで私たちはどちらも苦労しています。生きているのが嫌になりました、とまで言っています。「ヘト人の娘たち」は、エサウの妻を指しています。彼は40歳の時、「ヘト人ベエリの娘ユディトとヘト人エロンの娘バセマトを妻と」しています(創世26:34)。

エサウの結婚に関して聖書は異なる名前を挙げています。36章はエサウの系図です。ここにあります。2節、エサウはカナンの娘たちの中から妻を迎えた。ヘト人エロンの娘アダ、ヒビ人ツイブオンの孫娘オホリバマ、それにネバヨトの姉妹でイシュマエルの娘バセマトである。

そして先走ることになりますが、ヤコブが送り出された後、エサウは自分の妻たちが両親に喜ばれないことを知り、同族であったイシュマエルの娘を娶ります。それが28:9、「アブラハムの息子イシュマエルの娘で、ネバヨトの妹にあたるマハラトを妻とした」という文です。

 ヘト人は、黒海の南、現代のトルコ北部に起こり、大いに繁栄した古の大帝国ヒッタイトの末裔と考えられています。このころにはシリア、イラクに残っていたようです。文化、宗教、生活習慣などで大きく違いのあるもの同士です。現代の国際結婚のような困難があったことでしょう。イサクもリベカも、この嫁たちのことでは苦労したようです。

 ヤコブのために、この土地の娘ではないものを嫁にしたい、ということです。これは私の郷里から嫁を求めましょう、という意味のようです。イサクは的確に理解したようです。

ヤコブを呼び寄せ、命じます。パダンアラムのペトエルお爺さんの家に行き、ラバン伯父さんの娘の中から結婚相手を見つけなさい。そうしてアブラハムの祝福が、お前とその子孫に及ぶように、と命じます。子孫の繁栄、そしてこの寄留の地を受け継ぐことが出来るようになりますように、これはイサクの祝福に他なりません。父イサクは息子ヤコブと妻リベカに欺かれました。エサウのようにそれを怒るのではなく、すでに決定された神からの祝福の実現を求めます。ここには、アウグスティヌスの「人間の混乱は神の摂理」という信仰が見えます。


エサウはすでに結婚しています。それはイサクとリベカ夫妻の頭痛の種になっていました。神に祝福される民は何処から生まれるのか。逆に考えると、今神の民として祝福に与っているイスラエルは何処から来たのか、という問いに答えようとします。ヤコブがハランへ行き、伯父ラバンの娘と結婚することによってイスラエルは生まれることを示そうとします。


大きなヤコブ物語は、イスラエル誕生物語でもあります。神の民はどの様にして得られたのか、イスラエルの民に教えようとしています。策略、偽装、きへん、憎しみ、呪い、怒り、さまざまな感情が渦巻まいていました。その中に一筋の神の祝福への信頼が見出され、そこからイスラエルが生まれることが示されています。

28:10以下が、本日の本題部分です。「ヤコブの夢」という小見出しがあります。

ここでは、他にもベテル、神の家、あるいは天の門などが見出しになります。東京中野区には「天門教会」があります。ここから名前をつけたのでしょう。戦後の創立、ホーリネス系の感じでした。おかしな名前と思いましたが、こうして出所が明らかになるとなかなかのものに感じられます。


ベエル・シェバはユダヤの南部、ネゲブ砂漠との境界に近い所。地図によってはネゲブのうちとするものもある。イシュマエル人の居住する所。多くの泉あるところ、誓いの井戸(創世21:23)もしくは七つの井戸(21:28〜30)。第二次大戦中は英軍の基地がおかれた。その後、イスラエル独立戦争の最前線となり、初代大統領ベングリオンが引退後ここにキャビンを設けて居住、現在は記念館とされている。古代においてもイスラエル領の南端。北方ヘブロンまで45キロ、そこからエルサレムまで北へ30キロ。

ベエル・シェバからエルサレム、そしてベテルまで計94キロとなります。

ハランは、ユーフラテス川上流、西部の都市。ここから川は北へ昇る。この近くは、東にアシュールがあり、西にカルケミシュがあり、アッシリアとエジプトの戦闘で知られています。現代では、イラク領です。

このヤコブの出来事で知られるベテルは、エルサレムの北19キロ、早期青銅器時代からの町。ここからでもハランまでおよそ800キロにもなります。一日40キロ(十里、十時間)としても、20日間必要です。恐らく、この場面からでも三週間を要します。危険な旅が始まります。メソポタミアとエジプトの間は、交易が盛んでした。交易路が開かれ、途中には町や村、都市もあります。それでも、何処も危険が一杯でした。

長大な旅路の第三日くらいでしょうか、野宿をします。当時としてはごく普通のことでしょう。「石を取って枕とした」、余り大きな石ではなさそうですが、19節では、記念碑となるような大きさになります。ここでは夏目漱石という筆名に関する話もあります。

ヤコブは夢を見た、と記されます。夢の中で、天と地を結ぶ長い階段があり、そこを神の御使いたちが上ったり、下ったりしているのを見ました。これに関しては、たいていの学者は、文字通りとは考えないようです。夢とされているが、それはジクラートと呼ばれる当時の神殿建築物の光景ではないだろうか、と考えています。実際は、ここよりも北のほうですが、平坦な土地に小山のような突起があり、それを発掘すると神殿の遺跡であることが分ります。こうしたものがたくさん残っており、発掘を待っているような状態だそうです。エジプトにも、ルクソールなど巨大な神殿が残っていますが、それにも負けないような建造物だったようです。

夢を見た、とされるものを生かすなら、昼間、目にした壮麗な文明のしるしに興奮し、その夜、夢に見た、と解釈します。

夢に主が顕れ、傍らに立ってヤコブに言います。

先ず、自己紹介「あなたの父祖アブラハム、イサクの神、主である」。これは人格神を表す表現です。人格的な神が、人格と交わりたもうた、ということが顕されます。それは、同時にアブラハム、イサクと共にいて、守り、導き、生かした主である、ということです。

神は自らを、時間の流れの中で顕れ、自らをお示しになった、と語ります。後になると、出エジプトを導いたことで示されます。聖書の神は、私たちの歴史の中に働く神です。

歴史を読み解くなら神の力を見つけることが出来ます。


このときの言葉を、ヤコブの側からのものにすると次のようになります。

神は常に私たちと共におられる、私たちよりも常に先立ちたもう主である。

私の神となり、導きたもう主である。

この誇る所のない私たちを決して見捨てない、約束を果たすまで。

これはそのまま喜びの言葉になります。福音となるでしょう。


ここには注目すべき言葉があります。

14節「地上の氏族は全て、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る」。

ヤコブへの祝福、約束は、ヤコブ一人に対するものではありません。地上の全ての民に及ぶべき祝福です。決して、自己中心的な独善ではありません。

ある青年が言いました。「全世界が崩壊し、死滅する中で、自分だけが祝され、生き延びるとしたら、それは祝福になるか。そんな祝福なら自分は要らない」と。

ヤコブへの約束は、ヤコブ一人にとどまらない故に、私たち全ての者が耳を傾けます。

ここには全ての民への福音が示されています。


一体、ヤコブは何者なのでしょうか。このような主の言葉に相応しいのでしょうか。

彼は、兄の祝福を横取りしたもの、長子の権利を奪い取ったもの、兄の怒りを恐れ、逃げ出したもの。盗人、神のものである祝福を、順序を踏みにじって自分のものとした男、賞賛すべきところは何もありません。それにも拘らず、神が祝福してくださる。守り、導いて、全世界を祝福する器としてお用いくださる。

ここに福音があります。私たち全てに向けられる良い知らせがあります。

この28章は、ベテルの聖所の縁起物語、地名原因譚であろう、と考えられています。ベテルは元々ルズと呼ばれていた、とされます。アーモンドの木(あめんどう)を意味しました。ヤコブはそれを乗り越えて、ここをベテル・天の門と呼びます。門は内と外の境、従って、天と地上の境であり、ここから神の領域と結び付くことが出来る、と感じました。天と地が結び付く所、これは、ヤコブの信仰告白です。

全地はすべて私たちのもの、ここは神の国、神が支配されるところ、と告白しています。

ヤコブは、自分の歩みの中で神の恵みを、祝福をこの目で見、体験するなら、

枕の石を立てて記念碑とする、十分の一を捧げます、与えられたものは全てあなたのもの、と約束します。

これは後に実現されます。翻って、私たちは如何でしょうか。

神の恵みをこの目で見てはいないでしょうか。生活の中で体験してはいないでしょうか。

罪からの解放だけでも充分なはずです。大いに感謝を捧げましょう。

感謝の捧げもの、讃美、告白、祈りを捧げようではありませんか。