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2006年9月17日

《生涯のささげ物》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ福音書12:35〜44

聖書日課 列王記21:1〜16、ガラテヤ1:1〜10、詩編119:73〜80、

 本日の福音書は、神殿の中での教えとなっています。
始めは、ダビデの子がなぜメシア、救い主なのかということについて。
次は、律法学者たちの長い偽善的な祈りについて。
三つ目がいわゆるレプタ二枚の捧げ物です。これが本日の主題になっているようです。
神殿の賽銭箱の向かいに座っておられる主イエス。賽銭箱は神殿の「女の庭」と呼ばれるところにありました。ここはイスラエルなら女性でも入れるところです。13個のラッパ型の容器が置かれ、そのうち6個が自発の献金のためでした。大勢の人々が、さまざまな動機で、様々な額の捧げ物を入れているのを御覧になっておられます。ここには大勢の金持ちが来たようです。この人たちは、どれ程たくさん捧げたか、他の人たちの目に触れるように捧げたのでしょう。賞賛を求めているのです。金があるから捧げることが出来るのでしょうか。一般的にはそうです。ないものをささげることは出来ません。
其処に一人の寡婦が来ました。貧しいと、書かれます。ある翻訳者は、乞食をしていると訳します。それほどの貧しさです。見れば解ります。大勢の金持ちは、その豊かさの中から多くを捧げたことでしょう。神の恵みもたくさんいただいているのですから。
しかしこの女性は、捧げたくても金貨などはありません。そのような恵みも受けていません。本来なら、一族の者が助けて、これほどに貧しくなるはずがないのです。一体どうしたのでしょうか。ここには、一人で来たのでしょうか。家族の者はどうしたのでしょう?
一族の者は、この人を見棄てたのでしょうか。この女性が何か悪事を働いた、とでも言うのでしょうか。感謝すべきほどのこともないのに、彼女は生活費のすべてを入れました。
ギリシャの貨幣でレプタ銅貨2枚、ローマの通貨では1クァドランス。レプトンは、1デナリ、労働者一日の賃金の128分の1に相当する。最小の単位ですから、こんにちでは、50円程度。2枚で100円。
 ある人は、この所を読んで、これは不可解です、といいました。「この女性は、絶対に他の誰よりも少ないものしか捧げていない。算術の問題だ。イエスは間違っている」。
確かにそうなのでしょう。どう見ても、この女性が捧げたものは金持ちよりも少ないのです。大事なことは、主イエスは、私たちとは違う基準を持っておられることです。それに従うと、この女性も評価されるのです。

「生涯の捧げ物」と言う主題は、何を指し、何を意味しているのか不明なところがあります。生涯ただ一度の捧げもの、生涯にわたってなされる捧げもの、生涯そのものが捧げものである。これとは全く逆の考えがあります。誰かがわたしのために捧げてくださった、ということです。

本日の書簡は、ガラテヤ人への手紙1:1〜10.読んでみましょう。
パウロは、ここで自分のようなものを救うために主イエス・キリストが、ご自身を捧げられたと書いています。主イエスの生涯は、この私のための捧げ物であったと言っています。

今日の讃美歌は全て、アメリカの讃美歌作者ジョン・ニュートンの作品を選びました。
何方も良くご存知の「アメージング・グレース」を書いた詩人です。
1725年7月24日 ロンドンで生まれました。父は地中海貿易の船主、母は非国教会の熱心な信徒。一人息子が聖職者となることを祈り求めていましたが、ジョンが7歳になる前に亡くなりました。
ジョンが正規の学校へ通ったのは2年間だけでした。11歳で船乗りになるため、父に連れられ地中海航海に出ます。17歳、ジャマイカの管理人の地位が提供されます。赴任途上、ケントにて14歳のメアリー・カートレットと知り合い、心奪われ船出に間に合わず就任できませんでした。町を彷徨う内に、水兵徴募隊(プレスギャング)に捕らえられ、ハーウイッチ艦に乗り組ませられました。
(1742年頃、英国はスペインと、次いでフランスと戦争に入っている。)
士官候補生となるが脱走を試み捕らえられます。一水兵とされ、すさんだ生活をするようになりました。メアリーへの思慕だけが心慰めるものだったと言います。
通常の海軍では考えられないことですが、艦船勤務から解放されアフリカ西岸ギニアの奴隷商人に仕えることになります。奴隷商人の奴隷であったとされます。その苦しさは、父に書き送った手紙に明らかです。父は救出を図り、ある船長に依頼するが、成功しませんでした。その後、彼は脱出に成功します。

その帰国途上、人生の転機となる大きな二つのことを経験します。
第一はトマス・ア・ケンピスの『イミタチオ・クリスティ』との出会いです。キリストに倣いて、と訳されている敬虔な生活への指針。長い航海の間繰り返しこの書を読み、深い感銘を与えられています。
第二は、激しい暴風雨による危機の経験です。恐ろしい神の怒りを受けている、と感じざるを得ませんでした。1747年3月10日のことです。彼はこの日を、神の救いが与えられた日として、大いなる感謝をもって記しています。
 この後17年の歳月を経て、彼は暗い惨めな生活を離れ、伝道の生涯に入ります。
神の奇跡が彼の生涯を導いています。
47年から6年間、彼は再び奴隷売買の仕事に戻っています。この間にジョンは、相愛のメアリー・カートレットと結婚します。一方、父親はアメリカへの航海で病を得、客死します。息子を愛し、救出のために働いた父と再会できませんでした。
この期間の最後の出来事があります。最後の航海で、一人の船長と出会います。
信仰に熱心な人でした。彼から膝まずいて祈ること、聖書をよく読むことを教えられました。この後、ジョンは発作を起こして倒れ、医師から航海はやめるよう言われます。陸に上がった彼は、リヴァプールで船舶検査人となり、5・60人を使うようになりました。

彼が自ら書き記した墓碑銘には、このようにあります。
『かつては神を信ぜざりし者、また無頼の徒、
 アフリカにあって奴隷商人に仕えしもの、
 我らの主にして救い主なるイエスキリストの豊かなる恩恵によりて
 保護せされ、更正せしめられ、その罪赦され、
 先の日絶滅せんと務めし信仰の道を
 宣べ伝えるものに選ばれて
 バックス州オルニーにて16年間、
 この教会(ロンドン・ウールノス教会)にて28年間奉仕した』

ニュートンの讃美歌の特徴は、罪人に対する神の許しの愛を主題とするところにあります。しかもそのことを忘れてしまうような人間の弱さを深く自省するのがニュートンでした。ここに多くの人によって愛唱される詩人の切実な魂のうめきがあります。神学的ではないが、人の心を打つ魂の叫びがあるのです。?編讃美歌167番、「われをもすくいし くすしき恵み」アメージング・グレースの名でよく知られます。まさにニュートンの代表作です。

もう一人のニュートンはもっと有名です。万有引力の発見者アイザック・ニュートン。彼はその功績を賞賛されました。しかし彼自身は、良くこのように語ったそうです。
『私にとって最も大きな発見は、私を愛し、私の罪の救い主であるイエス・キリストを見出したことです』と。
ナザレのイエスは、私の罪を赦すためにご自身の生涯を捧げてくださいました。
ここに『生涯の捧げ物』があります。
感謝いたしましょう。